@article{oai:do-bunkyodai.repo.nii.ac.jp:00000778, author = {渡部, 淳 and Watanabe, Makoto}, issue = {19}, journal = {北海道文教大学論集, Journal of Hokkaido Bunkyo University}, month = {Feb}, note = {本論は,現在日本の教育に広がりつつある,英語教育と英語での教育の現状と言説について考察する.近年の日本の教育システムの一部で「グローバル人材」を「英語が流暢な人」と定義する傾向がある.しかし,日本人学生の大半の英語力は未だに,ようやくコミュニケーションが取れるレベルの中級あるいは初級のレベルであり,このままただ英語だけを大学で学んでいるだけでは,ビジネスの世界で役に立たないばかりでなく,現代民主主義社会を構成する市民として十分な基礎知識を持った人間になることもない.本論は,今一度大学における人文・社会科学教育を中心とした教養教育の原点に立ち返り,教養がそもそも自分の精神と知識で考え行動する人間を育てることであることに注目する.昨今の安易な「全て英語で」教育すれば良いという風潮は,コンテンツに基づいた教育と言っておきながら,その肝心の内実が教養や専門教育のための語学でなく,その逆に英語のためのコンテンツが専門の人間が教えない似非人文社会科学だとするなら,最終的に「英語だけ」に終わってしまう危険性がある.}, pages = {113--119}, title = {グローバル化時代の大学の人文社会科学教育における英語の布置─コミュニケーション体験から自律的思考を形成する教養の構成要件へ─}, year = {2018}, yomi = {ワタナベ, マコト} }